岡山に生活拠点を移して10年が経ったいま、改めて自分を振り返る。
このウェブサイトをつくった背景、及び自分自身がアートコレクターへなるに至るまでを自分で解釈していきたい。
この10年を振り返り、大きく次の3つの段階を経て、今の自分があることに気づいた。
1)マーケター(Marketing)
商品を再定義し新たなブランディングで市場を開拓しようとした時期
2)パトロン(Patron)
作家を応援するギャラリーとして、情報で新たな市場を開拓しようとした時期
3)コレクター(Collector)
自身が作品を蒐集する立場として、アートのつながりを構築しようとする時期
もちろん、それぞれが完全に切り離されているわけではなく、グラデーション的に重なっている。そのなかにおいても、自分と他者の存在をどのように関係づけて定義し、どういう立場で何をしてきたのか、という点で大きくズレていないように思う。
人生の後半を迎える年齢において、なぜ自身がコレクターとなり、アートとつながる必要性があるのかを見つめ直す良い機会なので、整理しておきたい。
まず、はじめにアートの関係を持つに至った一番初めのきっかけを紹介する。
岡山県備前市の地域おこし協力隊として備前焼の故郷である伊部という地域に赴任し、そこで「備前焼」という伝統工芸品の販路開拓に取り組んだ。具体的には「備前焼」という商品を再定義し、新たなブランディングを行い、国内外に新たな市場を開拓しようとした。東京国際ギフトショーへの出展から始まり、海外ECまで取り組んだが、資金難に陥り事業は終わる。
自分なりにまだ誰も取り組んでいない領域を設定して販路開拓に動いたつもりだったが、業界事情もマーケティングも初めて学びながらの仕事は何も達成することなく終了した。
そもそも地域おこし協力隊の仕事として設定した販路開拓の仕事は、誰にやれと言われたわけでもない。地域の人と関わるなかで、自ら地域の人の声を聞き、模索した結果の仕事である。それ自体を応援してくれる人もいたが、ビジネスとして軌道に乗せるには至らなかった。
改めて、なぜそのような仕事を定義したのか自分自身を振り返る。
スキルも何もなかった自分が地域おこし協力隊として赴任した地域は、圧倒的な歴史の蓄積のうえに成り立っている地域だ。地理的な地域の特性を活かし、小さな家族経営の産業を紡いでいる。何世代にもわたって地域の文化を形成している地区住民、またそこにおける家業としての仕事を目の当たりにした。
そのように地域を知っていくなかで、伝統工芸品である備前焼の売上が低迷しており嘆く声を聞くようになった。自分は地域おこしとして、この声を受けようと思った。
自分が提案したことのいくつかは、すでに地元の商店は取り組んで成果検証も済んでいた。しかし、当時はまだ何かやり残していることがあるのではないかと思い、「備前焼」を知らない顧客や新たなブランドとして販売することで市場を開拓できて顧客を見つけていくことを成果とした。
この仮説と併行していくつかの行動をした。幸い最低限の経費は地域おこし協力隊として使うことができたので、見本市などに出展したし、ウェブサイトを作って、海外ECサイトにも掲載した。しかし、繰り返しになるが何もかもが失敗に終わった。
普通に考えると、よそ者である自分が何かをする意味やメリットなどは到底見出すことができなかった。生産者から仕入れて消費者に売ることで、その差分を自分の収益とする小売・ディーラーのような事業を継続するには、原価が高すぎる工芸品と市場が期待する価格との間で、存在意義が見出せない。いまや生産者自身が簡単にECサイトを構築して直販することも可能な時代である。
マーケティングという仕事はそれ単体で存在するのではなく、自社で取り組むのでなければ、依頼を受けて初めて予算と成果が成立する。すなわち、受託できなければ、そもそも成り立たない仕事である。
地域おこしという仕事を受けていたからこそ取り組めた仕事である。当然といえば当然であるが、言い換えると、事業者当人でなければ、仕事をやる必然性はない。このようななか、自分の定義した仕事の成果を果たせずに、地域おこし協力隊という三年間の委託を受けて取り組んだ任期が終了する。
地域おこし協力隊としての任期が終了したのだから、自分で立てた仕事の定義や成果は終了してもいいのだが、どうしてもその成果を諦めることができなかった。だからといって、すぐに転職しようとも思えなかった。伝統工芸の存続という社会的な課題があると思っていたからである。新たなビジネスプランだけを頼りに資金調達を望んだが、当然これも失敗する。十分な検証が足りず、実現性も見えなかった。
任期が終了したことと、事業を進められないことからも、伝統工芸の存続という社会的な課題は当事者にとってもさして重要なことではないと思うようになった。備前焼に限って言えば、家業を受け継いでいけるだけの資産は十分に残っているし、地域全体が枯渇するような危機的な状況には陥っていない。ただ、売上という市場的な指標が下がっているだけなのだ。
作家の業としても、アーティスト個人の生計を担保できるかどうかという程度であり、産業の維持というほどの市場規模ではない。伝統工芸市場が縮小していることと、美術品市場(以下、アート市場)で備前焼というジャンルの市場価値が下がっていることは関係しているが必ずしもイコールではない。アート市場において人気作家は存在し、備前焼全体の低迷に相まって全く売れていないわけではないのである。
自分は個人的に関わった作家を応援すると同時に、備前焼というジャンルのブランディングを行って販路開拓するという仕事に対して、成果を出すことはできなかった。
<関わった作家>
・嶋幸博
・森大雅
・松本優作
・森泰司
・地域で活動する作家多数
地域おこし協力隊という半公共的な仕事ではあったが、作家個人を応援するという気持ちもあった。小さな地域なので、作家だけでなくその家族とも近しい交流をもった。今だから言えることだが、この頃はアーティストとしての作家やその作品を見て応援をしていたのではなかった。伝統工芸の後継者として現代に生きる作家を応援するという社会貢献的な気持ちからの発意であり、個人作家を支え続けるというパトロンとしての想いからではなかった。
そういうこともあり、個人作家と距離を置くようになっていったのは自然なように思える。一つ一つの作品に対して良い作品だなと思うことはあれど、それがアート市場における美術史的な価値としてどのような位置にあるかということを考えるに至らなかったのである。
ただ、自分と関係をもった作家がこのまま日の目に当たることなく、歴史に埋没していくというのは社会的な損失に思えた。アート市場における淘汰はあれど、何かのかたちで世界に足跡を残していくようなシステムがあってもいいんじゃないかと思った。
アート市場について深く考察するようになったきっかけは、地域おこし協力隊の頃に知り合った地域にあるギャラリーの画商、橋本さんのおかげである。橋本さんには、アート業界のあれこれ、備前焼の歴史についても、本当に1から丁寧に教えてもらった。
地域のほとんどは窯元や作家であり、いわゆるメーカーとしての立場からの視点であるが、ギャラリーは売買両方に関わるため異なった視点がある。さらに、備前焼の町にありながら、絵画も扱っており、陶芸というジャンル以外の視点からも様々な見方をレクチャーしてもらった。
とても感謝している。
橋本さんとの関係性がなかったら、生涯アートに関わろうという想いは今に至るまで続いていなかったように思う。
そんなアートギャラリーの大先輩からいろんなことを教えてもらったが、結局ギャラリーとしての仕事を選ぶことはしなかった。どんな作家を扱うギャラリーをどこで開きたいかというのがまるで思い浮かばなかった。
地域おこし協力隊の任期終了後、備前焼の販路開拓に向けて、アートギャラリー向けのECサイトのようなビジネスプランを構想した。きっかけはニューヨークに行ったことだが、作家とコレクターをつなげるギャラリーが共通のプラットフォームを利用できることで、今よりも敷居の低いアートのネットワークが構築できるのではないかと考えたのだ。
しかし、プランは採択されず、実現するスキルも持っていなかったため、お蔵入りになった。このタイミングでIT起業家に諭されて、自分でウェブスキルを身につけることを決意して転職する。この進路によって、ギャラリーとして作家を応援して販路を開拓する道ではなく、アートプレイヤーが継続的に応援できる仕組みづくりの方を選択することになる。
そして、IT技術を学びながら、アートのいろんなプレイヤーが利用できるよう、作家・ギャラリー・美術館のウィキ情報を登録したり、展覧会を掲載するようなプラットフォームをつくった。こちらについては、リリース当時の記事があるので割愛するが、半年ほどで閉鎖している。(コレクターとしては甘い考えだったなと思う)
アートのウェブサイト「exhiwork」を作った理由【2022年4月note投稿記事】
顧客は誰か、課題は何かという新規サービスの問いを改めて考えることになるが、ウェブでできることを諦めることはなかった。アートの世界と自分自身がつながり続けるためのベストツールはITにあると信じて疑わなかった。
<関わったギャラリー>
・橋本画廊
2022年にウェブサービスをリリースしたが、慣れない技術を使ってサーバーなどのコストをかけてしまったことから、少しでも早く収益を上げたいと焦ってしまった。コンセプトを固めないままに、思いつく機能を追加することに時間を費やし、コンテンツとなる記事を外注するなど、失敗のオンパレードだ。
見苦しい状態ではあったが、以前からひきずっている自分のアートに対する曖昧な想いのまま突き進むしかなかった。それも数ヶ月経って、金銭的にもそろそろまずいと思い、岡山市のスタートアップ窓口に相談した。そこで、アクセラレーションプログラムへの参加を勧められて、晩夏から冬まで、合計3回のプログラムに参加した。
そこでは終始、「顧客は誰であり」「その顧客の課題は何か」と問われ続け、その答えなくソリューションに話を進めることは許されなかった。プログラム中は架空の顧客を設定し、いくつものビジネスプランを再考した。顧客をギャラリーとコレクターに設定してプランを構築し、幾度かギャラリーに営業をかけたが、相手に刺さるものは得られなかった。ギャラリーを顧客とした場合の課題を的確に捉えることはできなかった。そして、自身内外ともに納得できるサービスを生み出すことができずに、プログラムを終えた。
改めて他者の課題を的確に捉えるのはとても難しく、どこか限界も感じた。
ふと、自分自身がアートの世界とどのように関わっていたいのかを振り返った。
アートとのつながりを最も求めていたのは自分だったことに気づいた。
つくるでも売るでもなく、アート市場においてアートコレクションすることが、社会に、市場に貢献していくことなのだと気づいた。そして、自身がコレクションをしていくことで、個人として社会的な資産を形成していくことに寄与していきたいと思うようになった。
ミュージアムで鑑賞することに対して積極的に自分を位置付けられないのは、誰もが価値の形成過程に関われないからである。ミュージアムはミュージアムの立場として美術的な批評やキュレーションを行うため、あくまでも組織である。個人や民衆との関わりはミュージアムによって価値を体系づけられた後の展覧会として参加するのみである。
それ自体に良し悪しはないが、個人レベルで評価に参加していくことはできない。鑑賞を通して参加する個人は、あくまでも鑑賞体験を享受する消費者であり、そこで得られるものは教養の域に留まるだろう。
しかし、コレクションは個人がアートの価値の形成過程に参加することができる。むしろ、個人としてアートの価値形成に関わる唯一の方法といってもいい。ミュージアムという立場でなくても、個人でテーマを立ててコレクションすることが可能なのである。
何ももっていない自分が実行可能なアート市場との関わりは、アートを蒐集し自分がコレクターになることだと気づいたのである。それから、初めて自分自身のために必要なサービスを開発しようと決意した。
アートは貨幣と同じで「交換価値」はあるが、「使用価値」が限りなくゼロに近い商品である。価格は0円にもなるし、億を越えることもある。ある意味、究極の無駄遣いであり、誰かにとっての特別な資産にもなる。この辺りのアートをどう捉えるかという視点については、下記記事や著作に譲りたい。)
アートコレクター入門【最初の一歩。どこで何を買うのか】
アートは資本主義の行方を予言する
あらゆる価値は相対的で関係性の中にしか存在しないが、アートコレクションを通じて、自分自身がこの世界に存在したことを証明したいというのは大袈裟だろうか。また、微力な資金でありながら、アートコレクションを通じて、作家やジャンルの市場価値の形成に寄与するというのは誇張だろうか。
他者のためではなく、自分自身のためにアートを蒐集することが、自分の求めていた世界に近づいていくとようやく理解ができた。遠回りをしたが、自分と世界がつながっていくために、自分を蔑ろにしては前に進めないのだと実感している。そして、それこそが、自分自身の人生の足跡として道を残していくのだろうと思うようになった。
自分の過去を振り返り、マーケターとしてパトロンとしてコレクターとしての自分を何重にも重ねながら、なぜアートコレクターにならなければならなかったのかを確認した。そして、アート市場において何者でもない自分の寂しさから、つながりを求めて今に至る。
自分にとってはアートを集めなければ自分自身を形作ることができないし、それを他者と共有したいから、つながりの場が必要だった。いくつかの余剰資金、少しのアートに関する知識、そして身近なウェブスキルが自分の手持ちのカードだった。
自分にとってはアートを集める必然性は、だいぶ特殊なケースだと思う。時期によって自分の設定するテーマが変わっていく部分とずっと変わらない本質的な部分があり、まさに自分を発見していくことが人生そのものだと思う。
誰しもが何かしらの想いを抱えて、何かを求め続けて人生を歩んでいるのだとすると、寂しさを埋めるためにSNSやマッチングアプリが溢れているのはすごく納得がいく。
先日橋本さんの企画展で作品を2点購入した。自分の第一歩は備前で備前焼を買うところからだった。これからはアートコレクター入門にもあるように、自分自身のテーマを決めて、プライマリー・セカンダリー含めて好きな作品・良い作品という軸を探しながら、蒐集していきたい。